卓話


ロータリーの友月間例会
情動呼吸−呼吸は心の鏡−

2023年10月11日(水)

昭和大学名誉教授
NPO安らぎ呼吸プロジェクト
理事長 本間生夫氏


 「情動呼吸」という言葉は聞き慣れないと思います。情動は心に繋がるもので、呼吸とどのような関係にあるのかをお話しします。

 呼吸は肺が膨らんで酸素を外界から取り入れて縮んで二酸化炭素を外へ出すという単純な動きで、吸って吐いてを繰り返していますが、実はもっといろいろな働きを私たちの体の中で持っています。

 情動は私たちの心の中核を成す要素であり、私たちの行動や意思決定に大きな影響を与えます。健全な情動の保持は、精神的、肉体的な健康や社会的な適応にとって極めて重要です。

 肺は自分で動かすことはできず、胸郭を取り巻いている筋肉が肺を動かしています。胸郭を広げたり縮めたりする肋間筋や横隔膜の収縮によって肺が広がったり縮んだりします。この筋肉は自分自身で動いているのではなくて、脳の中から「吸え」あるいは「吐け」という指令が来て、そして胸郭の筋肉が動いて、呼吸筋が動いて胸郭が広がったり縮んだりします。

 ポイントとなるのは脳です。代謝するための呼吸の指令は脳管部分にある呼吸中枢から指令が出て二酸化炭素や酸素を調節するために筋肉を動かしますが、もう一つ、中枢があります。私は今こうやって話をするのに呼吸の筋肉を使って随意的に話をする、声を発生するために大脳皮質にある中枢を使っていることを随意呼吸といいます。これまで脳内にある呼吸の中枢は、脳幹にある代謝性呼吸の中枢と大脳皮質にある随意呼吸が中枢として認められていました。

 情動を生み出している第一次中枢は大脳辺縁系の中の扁桃体と呼ばれるところに存在しています。最近この扁桃体で呼吸リズムが作り出されていることが明らかになりました。一昨年、世界で最も権威がある学術出版社で呼吸の本が作られ、そこで私も情動と呼吸に関する執筆をしました。その中で、情動呼吸のセンターを新たに指定しました。私たちの呼吸のリズムを作り出しているところは、代謝性呼吸と、随意的に呼吸を変える随意呼吸、そして情動呼吸の3つの中枢が存在すると決定したのです。

 この情動呼吸の中枢がある場所は、情動を生み出している第一次中枢、最も重要な中枢がある場所でもあります。

 情動とは喜怒哀楽の感情、これが外に現れてくることを含めて情動と言います。この中でネガティブな情動、悲しみ、怒り、恐怖、不安などは私たちが社会生活をする上で、それを妨げることになり、これが長く続くのは非常にまずい。特に不安は続くとうつ病などの精神疾患になっていくことがあります。コロナ禍が始まる前でさえも世界の成人の18%は不安障害になっているとされ、現在はもっと増えており、これを何とかしなくてはいけません。

 喜怒哀楽の感情である情動は多くの動物に共通する基本的なものです。快な出来事と不快な出来事に関係し、快い出来事に対しては接近行動につながり、不快な出来事に対しては逃避行動あるいは攻撃行動につながります。

 脳が発達した人間には、人間特有の道徳的倫理的な情動、あるいは思いやりや共感などの情動が生まれ、健全な社会生活を送るために必要な要素となります。この世で付き合う人々や事物に適切に反応し、人との絆を強固にするのも情動のお陰です。しかし一方、敵や軽蔑に関係する情動は、いじめ、虐待、差別、さらには戦争といった行動も起こしてしまいます。これらの人間特有の行動を人間的情動と呼んでいます。

 先ほどの本は昨年発行されましたが文章はその前に書いており、ウクライナ侵攻が始まる前でした。負の情動が蓄積すると憎しみや敵意の感情が生じ、人間が戦争を起こすことにつながると書いたことも当たっていたことになります。

 良いほうの情動の例を挙げると、東日本大震災の時の避難所です。被災して5日目の夜の食事のメニューを見ると、おにぎり1個と漬物、それだけです。昼はおにぎり1個、茹で卵1個でこれでは足りませんが、奪い合いになったり、取り合いになったりということが起こらず、みんなが助け合っていました。人間の持っているいい情動がきちんと働いていたということになるわけです。

 こうした情動に呼吸がどのように関わっているのか。
 音楽を聞いた時の人の呼吸を見ると、ある曲では非常に呼吸が荒れ、別の曲では非常に安定した呼吸になることがわかっています。そうした外界のいろいろな変化が私たちの呼吸に影響します。これは以前からわかっていました。

 呼吸と情動が一体として起こっているのではないかという議論が起きました。そうすると、呼吸を変えると情動も変えることができるということになります。

 ネガティブ情動の代表格でもある不安を人に起こしたときにその呼吸がどう変わるのかを見るために、私たちは「不安の実験」を行いました。特定不安度の数字が大きい人は非常に不安になりやすく、数字が小さい人は不安になりにくい。それはそれぞれの人が持つ特性によりますが、特性不安度が高い(不安傾向の高い)人ほど普段の呼吸数(呼吸リズム)も速く、不安傾向が低い人はあまり変わらず、呼吸のリズムと特定不安度が相関しました。

 呼吸は生理的な反応ですが、私たちがその人の呼吸を見るとその人の不安度がわかるほど心理的な反応と綺麗に相関するため、一体この関係はどこで起こっているのだろうかといろいろ調べました。

 すると、感情などを作る情動の第一次中枢である大脳辺縁系(扁桃体)で呼吸のリズムも作られており、二つが一体となって出てくることがわかってきたのです。

 呼吸と感情はこの場所で一体として出てくるため、呼吸を変えることによって感情を変えてみましょうとなりました。

 不安度を下げるには呼吸リズムを下げる、つまりゆっくり呼吸することです。幸い私たちの呼吸は随意的にも変えられます。長く随意的呼吸を続けることはできませんが、短時間でも呼吸リズムを下げることで不安を軽減させることができます。瞑想やヨガもこれに当てはまります。

 私たちは「呼吸筋ストレッチ体操」を開発しました。元々この体操は息苦しさを軽減させるために開発されたものですが、その後の研究で肺機能を向上させること、不安を軽減させることが分かってきました。この体操をするとゆっくりとした呼吸になってきて不安度も下がってきます。今コロナで不安障害の方が30〜40%になっていますが、そういう方にこの体操はかなり有効に働きます。

 2011年の東日本大震災で被災した子供たちの心を和らげるため呼吸筋ストレッチ体操を指導し、楽しく体操をするために子供たちと「ラッタッタ呼吸体操」の歌も作りました。これは小学校の保健体育の教科書にも取り上げられています。現在、NPO「安らぎ呼吸プロジェクト」では呼吸指導士を養成し、自治体をはじめ、さまざまなところでこの体操の普及に取り組んでいます。

 次に、呼吸は心を表象することに使われ、日本の文化につながっていることについてお話しします。

 人の感情は外に自分の心を表すものと、内面だけで変化させるものがあり、表情や涙などで表すものを外的な表象と呼び、内面だけで変化させるものを内的な表象といいます。 舞台芸能を例にとるとわかりやすく、多くの舞台芸術は外的表象で心を表現します。身体芸術的なもの、美しい動きや表情などで心を表現するわけですが、そうしたもので表現せずに、内的な表象のみを使うという舞台もあります。それが日本の伝統舞台芸術である能です。

 世界的に見ても非常に特異で貴重な舞台芸術で、他の舞台芸術とは異なり、能は内面的な表現を重視し、外部にはほとんど表さない特徴があります。シテは特定の動作や表情を通じてではなく、内面の感情や精神状態を呼吸を通じて表現します。このような内的表象のアプローチは、観客に感情や思考の深層に触れさせ、感受性を呼び起こす役割を果たしています。呼吸を心の表象として活用していることは、日本文化の深さと洗練された美学を示すものと言えます。

 この関係を示したくて、私は『オンディーヌ』というタイトルの能を作りました。国立能楽堂を皮切りに何度も公演されています。先達の言葉で、「呼吸が変わると身体の様相が変わる。心が変わると呼吸が変わる」というものがあります。先人たちは、呼吸が心の状態を反映する鏡であることを知っていたのでしょう。

 その呼吸を表現するために、『オンディーヌの呪い』という映画も作りました。オンディーヌの呪いというのは、成人男性の4人に1人は罹っているとされる睡眠時無呼吸症候群のことです。この能と映画を2015年にパリで公演し、フランスの人たちがとても興味を示してくれました。

 呼吸を心の表象として活用する考え方は「道」が付く日本の文化や哲学にも共通しています。情動呼吸は心にとても関係し、日本独特の文化は呼吸から生まれたということをNHKの番組で話したこともあります。

 情動呼吸はウェルビーイングに繋がってきます。私たちの普段の精神状態含め基本になるため、呼吸は普段は何気なく行っていますが、情動呼吸をきちんとさせることが重要です。

 情動呼吸をこれから中心になってくる遠隔医療や在宅医療で使おうと今月から実際の研究が始まります。それから様々な企業で働いている方々が健康できちんと仕事ができるようにするために、例えばドライバーの安全のためにこれを活用するといったことを始めています。


     ※2023年10月11日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。