卓話


医学と情報

2023年5月31日(水)

自治医科大学
学長 永井良三氏


 医療や医学は情報の塊です。日本では情報の収集・分析等が十分ではないことは、今回のコロナパンデミックで多くの方が感じられたと思います。

 私達は、ウィズコロナ時代であることを認識せざるを得ず、感染制御と経済活動の両立が重要であること、感染爆発を防ぎ、流行早期はなるべく抑えた上で、行政も政治家も国民に説明していかなくてはならず、その意味でもデータが大事です。

 統計データは、実態を可視化します。それを元に、ある程度、未来を予測できます。日本人はリスク回避が苦手と言われていますが、1730年に大阪の堂島米会所では世界に先駆けてリスクヘッジを行った素晴らしい歴史があります。苦手なのではなく、十分な教育がされていないためかもしれません。

 統計データを使うと、原因の推測もできます。例えば、忘れ物をした際にどこで忘れたか、過去に遡って上手に探すことです。AIの進歩で相当確率が高くなってきています。

 それから、一つの集団に見えてもサブグループがある可能性や、サブグループごとに平均値が違う可能性がある時にも、統計データが大切です。また、介入する、治療する、手術する、道具を使う、それらが本当に有効かどうかは、意外と難しい。「たまたま」との戦いです。人生もビジネスも、たまたまなのか必然かを調べる手法は、西欧で発展しました。

 サンプルから全体像について言うのも、統計データの活用方法の一つです。一番上手に使っているのは天気予報で、同様のことがどんどんできれば素晴らしいと思います。

 統計について、子供たちは野球から学んでいます。故・野村克也監督は先端的な統計をしていました。ある前提条件の時に次にどうなるか。例えばフルカウントになったとき、次にあの投手は何を投げてくるのか、あるいは得点圏に走者がいるときに、この投手は何を投げるか。これをビッグデータとAIを使えば、かなり予測できます。

 医療・医学のデータの重要性も、たくさんの情報と我々の経験を重ねて、その上で重みを付けています。

 例えば、心臓外来では、胸の痛みを訴える患者から、誘因労作、症状の部位、性質、強さ、持続時間、時刻や頻度、病歴、薬剤の効果、心筋梗塞の家族歴までを5分程で聞き取ります。特に冷や汗を伴うというのであれば、相当ウェートを置いて診ます。心臓病は命に関わるため少しオーバーに情報を取ります。

 そのあたりも医者や医学によって、待てる領域と待てない領域で、判断基準が違い、経験と論文、症例報告などで体系を作っていきます。心電図などの微妙な変化を見るという情報の扱い方は、ベテランの世界ですが、AIが発達すれば、簡単にできる時代になると思います。

 健康状態は年齢とともに低下します。しかし、集団の平均値のように低下するわけではなく、1人1人どこかで急激な変化に巻き込まれます。残念ながら誰にどこでいつ起こるかは必ずしもわかりません。医師は、1人1人のちょっとした変化を捉え、「あなた今、崖の縁にいますよ。数時間後にドーンと落ちてもおかしくないですよ」というところを、情報を集めて判断していく。長い年月のトレーニングが必要ですが、それを経なくても、若い人がAIの助けでできるようになれば素晴らしいことです。

 皆さんも、血圧やコレステロールの値が気になると思いますが、心臓や血圧に気をつけるといっても、どのレベルならよいのか意外とわかりません。20年以上前は、「日本人は心臓の発作は欧米人に比べ、はるかに少ない」、「同じコレステロールのレベルでも、日本人は発作が起こりにくい」と言われ、コレステロールも血圧も、管理目標は、欧米より少し高めに設定されていました。しかし、大学病院の症例を登録して追跡すると、狭心症の悪化、急性心筋梗塞、心臓突然死の頻度は、日本人も欧米人とさほど変わらなかったのです。

 1980年代から、欧米人は治療の有効性を評価するために、「指標が大事だ」としきりに言ってきました。血圧、コレステロールなどの検査所見はあくまでも代理の指標で、真の指標は死亡率、心不全・心筋梗塞での入院、がんの5年生存率、腎透析/臓器移植、脳卒中、失明・手足切断などです。これらを見ながら治療方針や薬の選択、新しい薬の開発をしていく。こうした指標を自ら見つけることに、日本人は30-40年ほど遅れたように思います。

 実際、こうした情報を集めるためにはお金も時間も労力もかかります。

 こんな話があります。心臓の悪い方では不整脈が増え、不整脈が多い方は亡くなりやすい。そこで不整脈を抑えれば長生きするだろうと、世界中で思われた。しかし、抗不整脈剤によっては、かえって生存率が低下した。その理由は、不整脈を抑える薬は、心臓の収縮する力も抑えてしまう。さらに、不整脈を抑える薬は時々不整脈を起こしやすくするのです。理屈は間違えることがあり、真の指標を見ないと判断を間違えます。

 代理の指標がよくなればよいわけではないことを、欧米人は長い間に経験し、自分たちの医学、薬を作り、薬の差別化をしてきた。そうしたビジネスを40年程行って収益を上げ、それをワクチンやバイオ製剤の開発に結び付けてきました。

 そのためには、前向きの介入試験が重要です。また、新しい抗がん剤オプジーボは肺がんの生存率を改善しますが、すべての患者に効果があるわけではありません。薬価は1人当たり年間1700万円しますから、研究を進め、「オプジーボでなくてはいけない」人を選んで使う必要があります。

 日本人も欧米人と同様に心臓発作を起こす、もう少し日本人もコレステロールを下げたほうがよい、と言うまでに18年かかりました。これでは時間がかかりすぎです。その意味で電子カルテを使った分析が必要です。

 今、我々は全国の7つの大学病院を繋ぎ、健康状態の悪化が誰に起こりやすいか、どのようなときに危ないかなどの詳細なデータを、全国で集めています。

 こうしたデータを使えば、急性期に悪くなる人と、慢性期に悪くなる人、あるいは慢性期に亡くなる方はどのような病気で亡くなるかなど、いろいろなことがわかってきます。病院の電子カルテとPHR(個人用電子カルテ)とを使って、健診結果を繋いだり、セカンドオピニオンを求めたりする時代が間近に来ています。こうしたデータは、1人1人の仮想患者のようなもので、「デジタルツイン」と呼ばれ、医学だけではなくてサービス産業としても使う時代になってきました。

 コンピュータは文章を読むのは苦手です。私は数年前から、医学の症例報告の文章を構造化して、文脈を機械に読ませる作業を行い、1万5000人の病態と所見の因果をグラフ化しました。これを上手に使うと、例えば「発熱、血小板が減った、お腹が痛い」と言うと、既に現実にあった症例から検索し、鑑別診断を挙げてくれます。医学の知識や症例に基づいた知識で、しかも全科にわたる多数の疾患を簡単に教えてくれます。

 ChatGPTが話題になっていますが、試しに翻訳に使ってみました。私が書いた政府の有識者会議の前文を、Google翻訳の無料のソフトで一度、英語にします。これはやや拙い英語ですが、これをさらにChatGPTに入れ、「高度で美しく、科学的・学術的な英語にしなさい」と指示すると、立派な英文がたちどころにできます。ChatGPTを使うなというのは無理で、使い方を教育する必要があります。ChatGPTの機能と、我々が作った言葉の空間が繋がると、医学の世界も変わると思います。

 不調になるのは医療体制も同様で、その持続性が危惧されています。医療費は、高齢者一人当たり年間約100万円かかり、足りない部分は若い人の保険料と税金で補っています。実際、公費が医療費の4割を負担しています。一方、オプジーボのような高額医薬品が出てくるなかで、医療制度をどう制御するか。

 人口千人当たりの病床数をみると、日本はアメリカの約5倍、ヨーロッパの約2倍で、病床百床当たりの医師と看護師の数はアメリカの5分の1、ヨーロッパの約2分の1です。これを調整できないのは、日本の医療が市場原理でも国家管理でもないためです。医療提供は民間で、医療費は国家管理です。また医療の内容は、地域によって結構ばらつきが出ます。それを機械的に改革するのは危険です。

 例えば、徳島県の主な産業は医療、福祉です。たくさんの方が医療・福祉に従事しており、これを無駄が多いといきなりベッドを減らせば、従事者は関西圏に流出し地域社会の衰退にもつながってしまうでしょう。データが大事といっても、地域の個別事情まで含めたデータが必要です。

 その他、診療報酬請求のレセプトが医療機関ごと、月ごとに切り離されており、地域の実情に合った効率の高い地域医療システムの実現のためには、レセプトを連結して統合することが必要です。国保・後期高齢者・介護レセプトデータの管理も74歳までは市町村で、75歳から広域連合で行うようになっていますし、個人名にしてもいろいろな文字がありますから、もっともっと国を挙げて情報を整備すべきです。

 医療制度のような複雑な問題を制御するためにも、医療の情報が必要です。情報から知識を見つけてよい医療を提供するだけでなく、医療産業も振興して、みんなでシステムを回していかなければ、日本の医療を持続させることは難しいと思います。


   ※2023年5月31日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。