卓話



リーダーの資格−田中角栄氏を偲びながら
−日中国交正常化50周年 日本列島改造論出版50周年を迎えてー

2023年4月5日(水)

(一財)産業人材研修センター 理事長
島田法律事務所 弁護士 小長啓一氏


 私は昭和46年(1971年)7月、当時の田中角栄通産大臣に秘書官として1年仕え終えてほっとしていたところ、田中総理大臣が誕生したため、引き続き総理大臣秘書官を務めることになり、昭和49年12月まで務めました。その3年半のうちに田中さんのリーダーシップを勉強しました。

 現在、田中ブームが続いています。背景には、不透明な時代においてリーダーシップを持った人に政治やその他の分野においてリーダーシップを発揮してもらうことを待望する風潮があります。その意味で、田中角栄氏の構想力、決断力、実行力、人間力の四つの力が非常に参考になります。

 まず、1番目の構想力。田中さんにおいては、財源を作る知恵です。昭和20年代に道路財源としてのガソリン税を導入しました。導入の際、石油業界は需要が減り売れ行きが悪くなると大反対でしたし、外国のメジャーもその分値上げをして売りたいなどと反対でしたが、それを説得して、ガソリン税の収入は全部、道路特別会計の財源になりました。お陰で、戦後のあれほど悪い道路事情が数年のうちに見違えるようになりました。道路がよくなれば車が増え、ガソリン消費も増え、新しい好循環が生まれたわけです。

 次に日本列島改造論。これは、田中さんが通産大臣になって日米繊維交渉が一段落した時期に、「自分は代議士1年生から通産大臣になるまでの25年間、国土開発の問題にずっと取り組んできた。これを1冊の本にまとめるが付き合ってくれるか」というところから始まりました。出版元の日刊工業新聞社の記者10名、経済産業省の私以下5名、計15名のゴーストライターを前に田中さんが1日8時間、4日間の連続レクチャーを行い、戦後の国土開発の歴史、今後あるべきビジョンについて滔々と話し、それを分担して執筆しました。

 その内容は、通産省マターは4割ぐらいで後の6割は当時の建設省、運輸省のマターで、各省間の壁は高く協力が得られるか大変心配でした。私は各省の官房長に電話をし「田中さんがこういうことをやるけれども、お手伝いいただけるか」と話すと、「角さんがそんなことをやるのか」と返ってきて、「大臣が」ではなく「角さんが」と言われたことにびっくりしました。田中さんは代議士1年生から通産大臣になるまでの間に議員立法を30数本成立させました。その過程で建設省や運輸省の若い官僚と膝を突き合わせて議論し成案をまとめるなかで、同志的な交わり、意気投合を実現していた。それが「角さんが」という言い方になっているんだなと実感しました。各省から万全の協力を得て、日本列島改造論が仕上がりました。

 田中さんは、「過密、過疎である日本列島は、東京へ東京へとヒト、モノ、カネ、情報が流れてきている。それを全く逆の方向に逆流させなければいけない。これが一言で言えば日本列島改造論のコンセプトである」と高らかに謳いあげ、いろいろ肉付けをして1冊の本にまとめました。『日本列島改造論』は昭和47年6月に発行され、91万部売れました。今年3月17日に復刻版が出て、現在かなり好調な売れ行きだと聞いています。

 2番目の「決断力」は、日中国交正常化の問題に尽きます。50年前、日中国交正常化については賛成論と反対論の二つに分かれ大論争を巻き起こしていました。日中友好議員連盟等があり、1日も早く中国と国交を開いて貿易を正常な形に持っていくことによって双方の経済発展を図るべきであるという賛成論は自民党の半分を占め、財界もバックアップしていました。公明党は当時の竹入委員長が訪中団を率いて中国に行き、田中さん宛のメッセージを持ち帰りました。「『同じ戦争被害者である日本国民に中国は戦時賠償を求めない』。したがって、あなたが来れば必ず話はまとまるのだ」というものでした。反対論は、「終戦のとき世話になった中華民国の蒋介石総統が台湾で健在であるこの時期は時期尚早である」という立場でした。

 田中さんは「行こう」という決断をしました。前提となったのは、「アメリカに遅れをとってはならない」ことが第1のポイントでした。日中国交正常化の前年の昭和46年、キッシンジャー大統領補佐官が訪中し、翌47年2月にニクソン大統領の訪中という新しい動きがありました。それに後れを取るわけにはいかないと、47年9月に田中さんは訪中しました。第2のポイントは、「自分は今、総裁選挙に勝って、総理に指名をされて、権力絶頂である。こういう力の強いときにこそ、一番難しい問題に挑戦しなければいけない」。私ども秘書官に向かって語った田中さんの胸の内でした。もう一つ語っていたのは、「難しい問題というのは相手が一代目のうちに、一代目が健在のうちに処理するのが常道である」でした。つまり、毛沢東、周恩来が健在のうちに処理するのが常道であると踏み切ったのです。田中さんは大平外務大臣、二階堂官房長官、外務省等の少数メンバーを随員として中国に行き、4日間の難交渉を切り抜け、日中国交正常化を達成しました。

 3番目は「実行力」であり、「交渉力」です。田中さんが常に言っていたのは、「問題は先送りせずに挑戦し、実行しよう」「受験秀才は易しい問題をまず解き、難問は後回しにする。その習慣が社会人になってもなかなか直っていない。政治家、財界、官僚にもそういう傾向があるんじゃないか」でした。そして、「リーダーは直面する問題に真正面から対応していく必要があるんだ」と強調していました。

 少し話が前にさかのぼりますが、田中さんが39歳で郵政大臣になった時、地方テレビ局30数局の一斉免許をやり、これがテレビ時代を招く原動力になりました。

 大蔵大臣には44歳で就任しました。当時、山一証券が倒産の危機に直面をし、そのままでは恐慌につながるおそれがありました。これを救うために前例のない無担保無保証の日銀特融を活用するかどうか大蔵省と日銀が踏み切れずにいたなか、田中大臣がその会議に入ってきて、「それしかないのであれば、それをやろう」と日銀特融が決まった経緯がありました。

 昭和44年、幹事長時代には、大学紛争の鎮静化を目的として、大学自治との兼ね合いでそれまで困難であった「強権を発動する措置」を入れた大学の運営に関する臨時措置法を緊急立法し、大学紛争は嘘のように片付いてしまいました。

 昭和46年、通産大臣の時には日米繊維交渉で大臣になって3ヶ月のうちに話をつけました。単にアメリカと交渉するだけではなく、対米輸出をある程度抑えなくてはならず、業界が受ける損失2000億円を補償するという新しいアイディアによって解決しました。当時の通産省予算は4000億円しかなかったため繊維業界に2000億円も出すことなどありえないと実現は難しいとされていたものを、田中大臣が政治決断をしました。

 総理大臣の時には資源外交を行いました。アフリカ大陸以外の資源大国を全部総理が周り、日本への安定供給の道を説いて回ったのです。

 最後の「人間力」です。田中さんは総理になっても下から目線で、相手を気遣いながら相手の問いかけを引き出すことを行いました。そして、統率力でやる気を起こしました。大蔵大臣就任時の挨拶は、「大臣室の扉はいつでも開いている。誰でもいつでも来てくれ」でした。自然体でこの人についていこうという気持ちにさせることができました。手柄は先方に与えて、泥は全部自分でかぶるという「利他の心」もふんだんに発揮されていました。

 また、「叱る時にはサシでやる、褒める時は大勢の前で」というのは常道であるもののなかなか実行できないことですが、田中さん自身、自戒を込めてされていました。

 「聞く耳を持つ」ということで生情報の蒐集に力を入れ、総理大臣になる時に、「通産大臣と違い、総理になったらいい情報は入るけれども自分にとって都合の悪い情報は来なくなる。そこは気をつけて自分の耳に入るようにしてくれ」と秘書官の私どもに言われました。

 それから「人を見て法を説く」。言葉が平易でわかりやすく、演説会場でたくさんの人が何を聞きたがっているのか、「ツカミ」がうまく、駅前の演説会場がみるみるうちに埋まっていくという状況でした。 「努力なくして天才なし」。これは、田中さん自身の言葉として色紙等にも書いていました。子供の頃は吃音があり、山に向かって大声で発声練習をしながら治したそうです。中央工学校の学歴しかありませんが、その後は独学であれだけの知識を詰め込みました。「必要なのは学歴ではなく学問だよ」と言っていました。人の名前を覚えるのも非常に得意で速かった。「君たちは相手の顔も見ないで名刺交換をし、ポケットに入れてしまうから、顔も名前も覚えないんだよ」と言われ、返す言葉がなかったのを思い出します。

 総理になっても真夜中に勉強していました。現役時代には気づきませんでしたが、夜中の2時から2時半の30分位に、前の晩に私どもが届けた国会答弁資料などに目を通しておられたようです。隠れた努力があったと感じました。
 最後に田中語録を紹介します。

 「人間は一朝にして偉くはなれん。努力、努力だ」
 「努力なくして天才なし」
 「上すべりではなく誠心誠意やらなきゃ駄目だよ」
 「理屈より現場」
 「縁を大事にしよう」
 「人生はやはり運だと思う。だが努力、根気、勉強が運をとらえるきっかけになる」

 豪傑スタイルの田中さんですが「微風和暖」という言葉が大変好きで、最も多く色紙に書いた言葉です。引用句ですが、「末ついに海となるべき山水もしばし木の葉の下くぐるなり」「踏まれても、踏まれても、ついていきます下駄の雪」があり、頼まれて長い紙に書いたりしていました。

 田中さんのように、構想力、決断力、そして実行力、人間力、この四つの要素を持った人こそが本当のリーダーではないか。日中国交正常化50周年、日本列島改造論出版50周年にあたり、改めて田中さんの素晴らしいリーダーの資格と生き様を思い起こしています。

    ※2023年4月5日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。