卓話


日本を支配する言霊の呪縛

2023年5月17日(水)

作家・歴史家 井沢元彦氏


 私は作家で歴史学者ではなく「歴史家」を名乗っています。日本は昭和20年に戦争に負けたことによってマルクス史学が盛んになり、無神論の影響を強く受けた歴史学者は宗教を無視して歴史や人間を考えるのが合理的だと錯覚しています。自分が宗教に縛られないのは結構ですが、過去の人間は縛られていたのですから、その中身がわからないと話になりません。

 日本人の信仰として大きなものの一つが「言霊(ことだま)」です。日本語の中で最も古いものの一つで、言葉には霊力があり、単なる記号ではないという意味です。

 例えば、今私が「明日、東京に大地震が起こります」と発言すれば、それによって言葉の霊力が働き実際に大地震が起こるという考え方です。「そんなことがあるわけないだろう」と思うでしょうが、実はそれが違うというのが本日のテーマです。

 言霊を日本の文献の中で最初に確認できるのは万葉集で、日本文化の大きな特徴があります。ローマでもギリシャでも中国でも古代の歌集には貴族や教養人の歌しか載っていませんが、日本の万葉集は、天皇、高級官僚、学者、「歌詠み」という専門職の他に、防人の歌も載っています。防人は国境警備隊最前線の兵士で、防人の歌の方が天皇の歌より良かったりします。これを文化論に詳しい渡部昇一先生は「日本には歌の前の平等がある」と言いました。

 万葉集の最初の歌は、雄略天皇が春の野原に出て、春の若菜を摘んでいる乙女に向かって、「私はこの国の王である。名を名乗りなさい」と呼びかける歌で、特別な意味があります。古代、女性に本名を聞くのはプロポーズなのです。

 他にも万葉集にある「あらための 年の経ぬれば 今しはと ゆめよ我が背子 我が名告らすな」という女性の歌は、「あなたとお付き合いして大分経ちました。でも決して私の名前は人前では言わないでね。あなたと私だけの秘密よ」という意味です。

 「玉かぎる 岩垣淵の隠りには 伏して死ぬとも汝が名は告らじ」は、「山深い場所で私が突然、遭難死するようなことがあったとしても、決してお前の名前は口にしない」という男性による愛の歌です。死ぬときに愛する女性の名前を言うのはタブーでした。 それを知れば、「卑弥呼」は日本の前身と考えられる邪馬台国の女王の名前であるはずがないことがわかります。

 ジェームズ・フレイザーという有名な民俗学者によると、昔、王者の名前は軍事機密でした。呪いを実際に行えると信じており、呪う際、名前によって相手を特定していたからです。

 卑弥呼の「名」が残っているのは、邪馬台国の使者が中国に行き、国のトップの名前を尋ねられて答えたことが記録されたためです。

 日本では、私が大学の教授で相手が学生でもファーストネームで呼ぶのは失礼にあたります。つまり、日本には名前のタブーがあるということです。名前は単なる記号ではなく、言霊であり、その人間そのものを表す言葉なのです。

 卑弥呼は称号で、私は「日の御子」だと思っています。邪馬台国から100年後に大和朝廷という天皇家の政府ができました。天皇は天照大神という太陽の女神の子孫のため偉いとされています。ギリシャでもローマでも太陽の神様は男性で、日本のように女性というのは極めて珍しい。しかし、卑弥呼が天照大神のモデルだったと考えれば辻褄が合います。

 言霊についても歴史では教えていません。どういうことになるのか。時代は一気に現代に飛びます。

 2000年10月15日付の毎日新聞に「H2ロケット 分担金支払い拒否で民事調停 宇宙開発事業団」という記事があります。

 当時の運輸省と気象庁が気象衛星と通信衛星を組み合わせたものを発注して作ったが、ロケットを打ち上げ地球を周回する軌道に乗せる技術はないため、宇宙開発事業団に頼み分担金の前金を払ったが、珍しいことに失敗し衛星は大気圏に突入して消滅してしまった。怒った運輸省と気象庁は残りのお金は払わないと言い、宇宙開発事業団は打ち上げたのは事実だから残額35億円を支払ってくださいと東京地裁に申し立てていた。失敗時の費用負担方法などが契約書に明記されていなかったとあります。

 そんな契約ありますか。失敗を想定して分担金の支払いについて契約書に盛り込むことが当然でしょう。運輸省も宇宙開発事業団も東大卒の牙城のようなところで、そこにいる人たちがこんな契約を結ぶのが日本なのです。

   言霊とは、言ったり書いたりすれば起こる。そもそも失敗を考えたくないため失敗時の費用分担方法を書かないということなのです。

 日本のマスコミを見てみます。
 1997年4月30日付の東京新聞に「書けなかった武力突入」という記事があります。ペルーの日本大使公邸が現地のゲリラに襲われ、青木大使以下数百人が数ヶ月間、人質になった事件がありました。当時のフジモリ大統領がペルーの特殊部隊を強行突入させて、ゲリラを射殺し、人質はほとんど無事に救出されました。日本のマスコミ各社は現地に行っていましたが、近々武力突入があるという記事をどの社も発信していませんでした。

 東京新聞の記事では、現地の記者は武力突入があると意見が一致しており、日本以外の国のマスコミは「そろそろ武力突入が行われるだろう」と書いていたのに、日本のマスコミは書いていなかった。言い訳になる部分を読むと、「『突入すれば人質に犠牲が出る』との見通しがあるなか、まさかこれほど派手な突入をやるとは考えられなかった。テロと無縁だった日本人の甘さのせいか『犠牲者が出るのを見たくない』との気持ちもあった」とあります。

 外国人記者はまず書かない一文ですが、東京新聞の記者がそう書いたのは、「自分が武力突入もあるという記事を書くと、言霊の作用によって武力突入が実際に起こり、犠牲者が出る。それは見たくない」からでした。こんな新聞、信頼できますか。

 日本を代表する朝日新聞のコラム「天声人語」の2011年5月18日付を見ます。

 東日本大震災の起こった年で、福島原発1号炉は津波をかぶり当初から炉心溶融(メルトダウン)していました。外国のマスコミはそれを書いていたのに、日本だけ新聞もNHKも報道しなかったのです。私の想像ですが、現場の記者は皆「炉心溶融しているよな」と思っていましたが、日本の記者は書かなかった。プレスセンターなどで外国の記者が「福島で原発1号炉はメルトダウンの可能性が高い」と打電し、それが回り回って日本語訳になり、デスクから「日本にいる外国の通信社がこう言っているぞ」といったフィードバックもされるため、知らなかったはずはありません。

 5月17日に東京電力がとうとう隠しきれないと記者会見を開いた翌日、天声人語は「メルトダウンは軽々しく使われる言葉ではなかった」から書かなかったと言い訳をしています。「炉心溶融と正直に書けば、ただならぬ気配に腰が浮く。東京電力の当初の読みよりずっと早い。隠したなら論外、知らずにいたならなお怖い。」

 マスコミの人間がこうしたことを書いているのです。
 それでも、あえて言うなら、運輸省もマスコミの人たちも被害者です。歴史教育の場、せめて高校で、「日本人には言霊という古来の信仰があって、情報をこのように歪めたり隠匿したりする体質がある。これには気をつけるべきだ」と教育していれば、こうした記事にはなっていないと思うからです。

 歴史学者の罪です。私はこう見えても穏やかな人間で、今までは平和共存を目指してきたのですが、あちこちで「井沢元彦の歴史は偽物だ」と言われる由々しき事態になっています。

 最後に大前研一さんの週刊ポストの連載記事を紹介します。
 大前さんは私の理解者で、私が『言霊』という本を書いたときに、「知らなかった。すごく勉強になった」と謙虚に言ってくださいました。大前さんは積極的な原発推進論者ではないものの、日本という国は原発稼働をしないと電力が供給できないだろうと冷静に考えて、その方向に日本を持っていくべく努力しました。しかし、記事のタイトルは、「さらば原発――夢も矜持もない プライドもない 電力業界に再稼働などを任せられない」です。

 大前さんは、原発の安全対策とともに万一重大な事故が起きたときのアクシデント・マネジメント(事故対応)も俎上にあげ、電力会社、政府、地元自治体が最新情報をリアルタイムで共有し、連絡・協議を密にして迅速な意思決定ができる仕組みの構築を提案しました。

 記事には「さらに、それを自民党の原発対策の責任者になった国会議員にもレクチャーし、実行するように求めてきた。ところが、彼らは『いざとなったら』という話ができない。例えば原発事故が起きた場合を想定して避難訓練など予行演習をしなければならないと提案したら、『そんなことを言ったらお前は事故が起こると思っているのか、と地元の住民に突き上げられるから無理です』と拒否された。」とあります。

 避難訓練は特に地元の人命を守るためのものなのに、当の住民が嫌だと言う。そういう国なのです、日本は。

 私は日本の歴史教育を根本的に見直すべきだと考えており、皆さんにもぜひ支持していただきたい。

 言霊の影響は悪いことばかりではありません。歌の前の平等という日本のゆかしい伝統が歌会始(うたかいはじめ)に残っています。前年の秋頃に宮内庁から発表されたお題を読み込み寄せられた和歌から、優秀なものが年齢や国籍、職業に関係なく選ばれ、正月の吉日に天皇皇后両陛下と一緒に宮中で詠むことが続けられています。こうしたものは大切にしていかなければいけません。ただし、言霊の嫌なことを考えたくないと危機管理や報道を阻害する欠点については十分に認識すべきだというのが、私の考えです。


  ※2023年5月17日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。