卓話


ドラッカーに学ぶ成功企業とは

2023年9月27日(水)

トップマネジメント(株)
代表取締役 山下淳一郎氏


 経営の父と世界から称されるピーター・ドラッカーは、誰もが経営を学べるようにした人です。ドラッカーが確立した経営論は世界の経営の基礎になっています。

 私の父は経営者でした。そんな父の背中を見て育ち、自分の将来、経営という分野で仕事をしたいと思うようになりました。ドイツ系のコンサルティング会社で経験を積んだあと、IT系企業に移りました。順調に仕事をしていましたが、「何のために仕事をしているのか」という疑問にぶつかり、それはそのまま人生の壁になりました。ドラッカーはこう言っています。「ミッションをもつことは、 激動の世の中はますます重要となる。世界がどう変わろうとも、人は、誇りあるものの一員たることを必要とする。人生と仕事に意味を必要とする。絆と信条の共有を必要とする。」本当にそうだと思い、企業の成長を外側から支援するコンサルティング分野に戻り、現在は経営チームを支援する仕事をしております。

 イトーヨーカ堂の創業者の伊藤雅俊さんは20年以上ドラッカーのアドバイスを受けておりました。ドラッカーが30年以上教授を務めたクレアモント大学に20億円を寄付されました。その寄付によってクレアモント大学内にドラッカースクールが設立されました。私は経営チームで取り組むドラッカーの実践プログラムを日本の企業に普及しています。上場企業を含めた多くの企業、役員、経営幹部、中間管理職の方に研修をしております。

 経営者の仕事は多岐にわたります。事業の目的を明確にしなければなりませんし、事業を進めるためには様々な意思決定を行わないといけません。予算、人事、組織、その他、例えば社員の冠婚葬祭、業界の集まり等々、経営者の仕事は到底1人でできるものではありません。

 どんなにうまくいっている企業であっても、必ず成長の限界がやってきます。ドラッカーはこう言っています。「事業として成功したそのとき、理解できない苦境に立つ。事業が発展しない原因はつねに同じである。トップマネジメントチームの欠落である。」会社はある一定のところまで成長すると、事業が停滞し踊り場を迎えます。その原因は。経営をチームで行っていないからだとドラッカーは指摘しています。複数人の協力関係で経営の仕事を役割分担していないからです。事業の成長がトップの限界を超えて成長したにも関わらず、相変わらずトップ一人で仕切っている。そこに事業の限界をつくってしまいます。社長1人で事業を見渡せるうちは問題ありませんが、事業はトップ1人の限界を超えて成長していきます。事業の成長がトップ1人でマネジメントできる限界を超えたにもかかわらず、トップ1人で事業を仕切り続けていけば、トップの限界がそのまま事業の限界になってしまいます。事業を安定的に成長させていくためには経営チームが必要なのです。事業を成長させていくためには、トップとある程度対等な立場で、トップと話ができるような人、そんな人が2人、3人必要です。右腕左腕、あるいは助さん角さんのような人がいない状態で、事業の全てを1人で見渡し、考え、決定し、指示と命令で社員や事業を動かそうとしていけば、危険な状況に陥ります。ドラッカーはそうならないための対策を教えてくれています。「トップマネジメントチームを前もって構築しておくことである。」今はたとえ停滞している企業であっても、過去、成長した時期を見ると、必ず経営チームが存在しています。

 具体的な事例を紹介していきます。例えば、ソニーが一番成長した時期を見ると、創業者で代表取締役の井深大さんが開発を、もう1人の創業者の盛田昭夫さんが販売を担当するという明確な役割分担で、それぞれが責任を持って仕事を進めていきました。

 パナソニック、松下電器というとカリスマ的なイメージが強いですが、高橋荒太郎さんという番頭役が組織内部を全部一手に引き受け、ゆえに松下幸之助さんは前衛に出ることができました。

 自動車メーカーの本田技研工業の代表取締役の本田宗一郎さんは工場で車の開発を行いました。それに対して、副社長の藤沢武夫さんは本田さんがやらないこと全てを引き受けていたそうです。2人で一緒に引退し、引退の挨拶で藤沢さんが「社長は本田だったが経営者は私だった」と言って会場に笑いが起き、本田さんは「本当にそうだったな」と言ったという微笑ましいエピソードがあるぐらいです。4回ほど資金がショートして倒産の危機がありましたが、本田宗一郎さんは1回も知らなかったそうです。

 トヨタも製造を担当していたのは石田退三さんで、神谷正太郎さんは「とにかく何台でも作れ。作ったものを全部売りさばく」と販売を担当していました。

 ファーストリテイリング、ユニクロを展開する柳井正さんもワンマン経営のように見えますが、柳井さんが考えたことを仕組みとして作っていたのが澤田貴司さんです。

 トップは得意とすることを担当し、得意としないことは、それを得意とする人に任せるという補完関係、協力関係で事業を進めています。

 日本の歴史ある企業を見ていくと、トップ1人で仕切っていたのではないことがわかります。

 キヤノンの御手洗毅社長は医師でした。当時扱っていた映像機器の精度が悪くて患者の病気を発見できず、何回も残念な経験をしました。日本中を見渡すと医療映像の研究をしている組織や団体がどこにもない。じゃあ自分たちでやろうとキヤノンという会社を立ち上げました。御手洗さんは「自分は経営の素人だ」と公言して若手の考えを積極的に取り入れて経営をチームで行いました。

 また、森永太一郎さんが東京・赤坂で、日本で初めて洋菓子を作りました。創業して8年間全く成長しなかったのですが、松崎半三郎さんと知り合ってチームで経営を進めるようになって以降、急速に発展していきました。

 また、ソフトバンクの孫正義さんもワンマンと誤解される1人ですが、孫さんはビジョンを明確にし、笠井和彦さんが資金繰りを担当し、明確な役割分担で仕事を進めたそうです。

 海外の歴史ある企業を見てみると、ドイツ銀行、かつては世界一だった自動車メーカーのゼネラルモータース、また発明王のエジソンが創業者でアメリカ最大手の電機メーカーゼネラルエレクトリックも経営はチームで行っていました。

 さらに、海外の新しい企業に目を向けます。
 スターバックスの創業者ハワード・シュルツは、創業当時から4人の経営チームを作りました。当時、イタリアの深煎りのロースト、エスプレッソを主体とした濃くて苦いコーヒーを提供していきたいと考えていました。そんななか、経営チームの1人がアーモンドやキャラメルといったフレーバーを入れたコーヒーを提供したいと提案してきました。

 仲間が提案してくれたアイデアを真っ向から否定したら今後提案してくれなくなると思い否定することは我慢して、こう考えたそうです。「どこかのお店で、その商品を出してみよう。売れたらレギュラー商品に加えよう。売れなかったら、その商品はやめよう」。ハワード・シュルツはそんなコーヒー売れるとは思っていなかったのです。ところがその商品は大ヒットし、約束したため、レギュラー商品にしました。振り返ると、自分が思った通りのスターバックスにはならなかったが、自分が思った以上の素晴らしいスターバックスになったのです。

 1人の考えで事業を進める状態と経営チームで進めている状態では、拡張性が全然違います。

 ビル・ゲイツはマイクロソフトの創業者です。ビル・ゲイツがマイクロソフトを一代で大きくしたように見えますが、ビル・ゲイツがやっていた仕事は技術面と対外的な活動で、実際にマイクロソフトの経営を担っていたのは入社30人目の従業員で後に社長になったスティーブ・バルマーです。

 アップルも同様で、創業当時スティーブ・ジョブズがやっていたのは営業で、相棒であるエンジニアだったウォズニアックがプログラムと、明確な役割分担で仕事が行われていました。晩年のスティーブ・ジョブズはCEOで会社のトップでしたが、仕事は商品開発と商品発表だけで、当時ナンバー2のティム・クックが経営の全般を担っていました。

 1949年、小郡商事という会社が立ち上がりました。今のユニクロの前身のまた前身です。1984年にユニクロが広島で立ち上がり、柳井会長はずっと1人で経営をしてきたのですが、安かろう悪かろうというイメージを払拭できずに1998年に「もう限界だ」と経営チームを作りました。それ以降、ユニクロは世界的なメジャーブランドとして一気に成長していきました。外から見るとワンマン経営のように見えますが、柳井会長はこう言っています。「1人でできることなんてたかが知れている。経営というのはチームでやるものだ」。

 組織で事業を運営している方は、ぜひ経営チームを作って事業の成長速度を早めていただければと思います。


     ※2023年9月27日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。